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ロベール・エルツ 『右手の優越』
ロベール・エルツ 『右手の優越』 ちくま学芸文庫
ロベール・エルツは1882年生まれの文化人類学者・社会学者です。デュルケム門下の俊英で、「社会学年報」派の一員でもあります。将来を嘱望されながらも、33歳の若さにして第一次世界大戦の砲火に倒れるという悲劇的な最期を遂げました。もし大成していたら師のデュルケムを超えたのではと惜しまれたほどの人物であったそうです。
本書は彼の主著にしてほぼ唯一の著作でもあり、
二編の論文
「死の宗教社会学 ―死の集合表象研究への寄与」(1907年)
と
「右手の優越 ―宗教的両極性の研究」(1909年)
が収められています。
また序文として、英語圏では忘れられた学者であったらしい彼を再評価して本書の英訳を行った、ロドニー・ニーダムによる解題が付されております。
「死の宗教社会学」は、東南アジア地域に見られる二次埋葬の制度について考察したものです。本論文の中でエルツは、「未開」社会の人々は死を持続的なものと考え、いわゆる死から肉体が白骨化するまでの時間をこの世からあの世への移行期間として捉えているとします。そして、白骨化した肉体に対する最終の葬儀が終わった時点で、死者は中間的な状態から死者の世界へと統合され、残されたものたちの社会も死の脅威から逃れて平安な状態に戻る、と説くわけです。
一見するとありきたりな解釈に感じられますが、本論文の発表された1907年はファン・ヘネップが『通過儀礼』を発表する2年前であり、むしろ本論文が後の解釈の基礎となっているようです。
「右手の優越」は、なぜほとんどの人間社会では左手よりも右手を優遇するのか?そもそもなぜ人間には右利きが多いのか?という基本的な疑問を元に、文化人類学的・社会学的な知見からそれに対する一つの回答を与えようとする論文です。
本論文はまず、人間は左脳が発達しているから右利きなのだという生理学的な仮説を、右手が優遇されたから左脳が発達したと因果関係を逆にして考えることを妨げるものではないとして退けます。その上で、人類文化一般の傾向として二項的な対立観念の存在を指摘し、聖と俗、上と下、男と女といった優劣の対比と同列に右と左の区分も意味づけられたとするわけです。
ではなぜ右が聖の側で左が俗の側に位置するのか、という疑問にはエルツは答えていません。そこはなんとなく尻切れな印象も受けますが、本当の回答は神のみぞ知るといったところでありましょうか。ともあれ、レヴィ=ストロースのはるか以前に象徴的分類の存在を示唆していたことは、社会の分析に対して左右の問題にとどまらない発展性をもたらしたといってよいのではないでしょうか。
なお彼はいわゆる「未開人」と会ったことはなく、文献資料とフランスの民間信仰についてのフィールドワークのみでこの本を書き上げたそうです。もちろんそのことを欠点として不備を指摘するのは簡単ですが、時代背景を考慮するならばむしろ驚異的な着眼力というべきでしょう。
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ロベール・エルツは1882年生まれの文化人類学者・社会学者です。デュルケム門下の俊英で、「社会学年報」派の一員でもあります。将来を嘱望されながらも、33歳の若さにして第一次世界大戦の砲火に倒れるという悲劇的な最期を遂げました。もし大成していたら師のデュルケムを超えたのではと惜しまれたほどの人物であったそうです。
本書は彼の主著にしてほぼ唯一の著作でもあり、
二編の論文
「死の宗教社会学 ―死の集合表象研究への寄与」(1907年)
と
「右手の優越 ―宗教的両極性の研究」(1909年)
が収められています。
また序文として、英語圏では忘れられた学者であったらしい彼を再評価して本書の英訳を行った、ロドニー・ニーダムによる解題が付されております。
「死の宗教社会学」は、東南アジア地域に見られる二次埋葬の制度について考察したものです。本論文の中でエルツは、「未開」社会の人々は死を持続的なものと考え、いわゆる死から肉体が白骨化するまでの時間をこの世からあの世への移行期間として捉えているとします。そして、白骨化した肉体に対する最終の葬儀が終わった時点で、死者は中間的な状態から死者の世界へと統合され、残されたものたちの社会も死の脅威から逃れて平安な状態に戻る、と説くわけです。
一見するとありきたりな解釈に感じられますが、本論文の発表された1907年はファン・ヘネップが『通過儀礼』を発表する2年前であり、むしろ本論文が後の解釈の基礎となっているようです。
「右手の優越」は、なぜほとんどの人間社会では左手よりも右手を優遇するのか?そもそもなぜ人間には右利きが多いのか?という基本的な疑問を元に、文化人類学的・社会学的な知見からそれに対する一つの回答を与えようとする論文です。
本論文はまず、人間は左脳が発達しているから右利きなのだという生理学的な仮説を、右手が優遇されたから左脳が発達したと因果関係を逆にして考えることを妨げるものではないとして退けます。その上で、人類文化一般の傾向として二項的な対立観念の存在を指摘し、聖と俗、上と下、男と女といった優劣の対比と同列に右と左の区分も意味づけられたとするわけです。
ではなぜ右が聖の側で左が俗の側に位置するのか、という疑問にはエルツは答えていません。そこはなんとなく尻切れな印象も受けますが、本当の回答は神のみぞ知るといったところでありましょうか。ともあれ、レヴィ=ストロースのはるか以前に象徴的分類の存在を示唆していたことは、社会の分析に対して左右の問題にとどまらない発展性をもたらしたといってよいのではないでしょうか。
なお彼はいわゆる「未開人」と会ったことはなく、文献資料とフランスの民間信仰についてのフィールドワークのみでこの本を書き上げたそうです。もちろんそのことを欠点として不備を指摘するのは簡単ですが、時代背景を考慮するならばむしろ驚異的な着眼力というべきでしょう。
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